地下鉄一駅分のポチポチ

ゆるゆる雑談 暇つぶしにどうですか

自分の表現方法、の巻

幾度となく、迷走している。

もうすぐ30になる大人が、自分の表現方法に迷走しているのだ。

ブログを書いてみたり、物語を考えてみたり、絵を描いてみたり。

日頃から読書だったりテレビを見たりしてインプットしていることを、なんらかの形でアウトプットしたいと常に感じている。

その方法を何十年もかけて模索している。

 

このブログも、そのアウトプットの1つだ。

自分の考えてること、感じたことを文章に起こす。

自由に書いているつもりだがそこには他者の存在があり、やはり反応が気になってしまう。

そうなると「うまく伝えなくては」「共感を得なくては」という気持ちが働き、本来の意味から少し離れた文章が出来上がってしまう。

うまく吐き出せなかった気持ちは少しずつ蓄積し、のちのち大きな塊になり、ブログを書きたいという気持ちの邪魔をしてしまう。

 

絵を描くという行為もそうだ。

うまく書かなくてはいけない、というような謎の縛りを自分で設けてしまうとなかなか手が動かない。

 

自分を表現する方法で、自分に1番あっているものはなんだろうか。

まるで十代の子が悩むようなことで、私はずっと悩んでいる。

 

この悩みをぽろっと他人に話したことがある。

すると彼女は、私を羨ましいと言った。

自分のことで悩めるなんて、普段の生活に不満がないからできるのだ、と。

 

この意見には少々反論したい。

私にも普段の生活において悩めることはいくつかある。

お金の面や子どものこと、家庭環境もそうだ。

だが、妙に納得している自分もいた。

実際子どもが生まれたばかりの頃や、転職期間などは、ブログを書きたいとか絵を描きたいという気持ちにはならなかった。

日々の生活を送ることが大変なのには変わりがないが、それでも短いなりに自分の時間を捻出することができているし、多少のお小遣いも確保している。(どちらも意識的に)

 

そうか、自分のことで悩めることは幸せなことなのか。

なかなか出口のない迷路をずっと彷徨っているものの、迷路に挑戦できること自体がもう幸せだなんて。

改めて気づかされた。

 

とはいうものの、やりたいことができてても、それに納得できるかどうかはまた別の話なわけです。

自分の理想は高く持ち、なりたいようになれるまで、喜んで迷走し続けようと思う。